ひと休み⑧『ミュージシャンとしての第一歩』
関東では、約6年半ほど生活をしました。
19歳から25歳までの上京生活でした。
転機は、バイト先で出会った一人の男性から訪れます。
その方は、なんとスペースワールドの元ドラマーで、ちょうどその時オーディション情報があったので、私にお知らせしてくれたのです。
もともと、ドラムを始めた時「10年で仕事にできなければ、ドラムは辞める」と決めていた私ですが、ちょうどその年が10年目でした。
自分でも「やりきったな」という思いがあったとともに、精神的・肉体的にもちょうど限界を迎えていたので、一度故郷に帰ろうとしていました。
そんなとき、少し前に出会ったばかりの彼から、「スペワのオーディションがあるんだけど、受けてみる?」とLINEが来たのでした。
正式に関東から大分へ帰郷する前の、お正月休みのことでした。
心身ともにボロボロの状態で、実家のベッドに横たわりこれからのことを思案していました。
そのLINEを見て直感的に「これは運命だな」と感じたとともに、オーディションも受かるだろうな、と正直感じていたのを覚えています。
その後、一度関東へ戻り、オーディションを受けました。
関東では数名の他のドラマーがオーディションを受けていました。
自分は、特に気負うわけでもなく、ただその時自分にできるパフォーマンスを冷静に披露しました。
10年間で培ったものは、すべて出し切れたオーディションでした。
それから数週間後、自宅近くのマミー○ートで合格の連絡をいただいたのを、今でも鮮明に覚えています。
新たな人生の始まりです。
15歳の少年が抱いた「ドラムで飯を食う」という夢が、自分が定めた"10年"という期間ギリギリで叶いました。
その感動は計り知れないものがあり「頑張ってきた甲斐があった。夢は叶うんだなぁ」と身をもって実感しました。
そんなに根性が強いわけではないので、何度も途中で諦めそうになる瞬間はありました。
「本当にドラマーになれるのだろうか?」
「自分には向いていないんじゃないのか」
「20代前半のうちに、違う道に進んだ方がいいのではないか」
などなど、さまざまな葛藤を日々感じていたのを覚えています。
夢を抱いた瞬間も、なぜか唐突にそう感じただけで、別にそれまでドラムのことを考えていたわけではありません。なんとも不思議なものです。
それからの10年は、その時の自分にとっては今考えても地獄そのもので、本当にキツかったなと思います。
ただ、そこから得られたものはとても多く、今の自分の人生観や考え方の基盤となっています。
「死ぬ時に後悔しない生き方をする」という自分のモットーに沿って、これからも人生を全うできるよう頑張ってまいります。
それではまた次回の記事でお会いしましょう!